DSPの意義とは―新体制で臨むThe Trade Deskの戦略
グローバル大手DSPのThe Trade Deskが新たな日本担当ゼネラルマネージャーを迎えた。あらゆるテクノロジー企業が総合プラットフォームを志向する中で、セルフサーブ型のDSP専業という明確な立ち位置から事業を拡大してきた同社はどんな課題に取り組んでいるのか。Cookie規制やコネクティッドTVなど注目分野の最新動向と合わせて話を聞いた。(聞き手:ExchangeWire Japan長野雅俊)
DSPだからこそ確保できる透明性
―自己紹介をお願いします。
2020年6月より、The Trade Desk の日本担当ゼネラルマネージャーに就任した馬嶋慶と申します。博報堂で14年半にわたり営業職を務めた後、Facebook、Taboolaといったデジタル広告の現場で経験を積んできました。
私にとってのデジタルマーケティングの原点は、博報堂時代にまで遡ります。当時既に斜陽メディア扱いをされていたラジオでパーソナリティ自身が宣伝内容を読み上げる生CM方式を通販保険会社向けに開発したところ、これが大ヒット。年間20億円ほどの売上を達成しました。ところが、あまりに派手に展開したものだから競合する大手総合広告会社に目を付けられてしまい、その会社は非常に有能な担当者を送り込んで、ラジオ広告のシェアを奪い返しに来たのです。ビデオリサーチから取り寄せたパネル調査結果に基づき、「リスナーの重なりが少ないところにCMを打てば宣伝効果が上がる」というプレゼンをしたその担当者に、私は大負けしました。
「ユーザーの重複を避ける」ことなど、現在のデジタルマーケティング技術を以ってすればいとも簡単に実現できますが、16年前の当時は最先端の発想だったのです。この出来事をきっかけの一つとして、広告宣伝に関わる新しい手法を学びたいという思いを強くし、博報堂を退社。Facebookの9番目の社員として入社し、同社では動画広告とテレビCMのセット販売などを手掛けました。
その後はレコメンドウィジェットを提供するTaboolaでカントリーマネージャーを経験し、直近ではホワイトカラー定型業務を自動化させるソフトウェアを手掛けるUiPathという企業の日本支社のCMOを務めました。
―主に外資系企業で経験を積まれてきたのですね。
父親の仕事の都合で、小学校1年生まではフィリピンで生まれ育ちました。一旦日本に帰国するも、中学1年生から20歳まで今度はトロントに。つまりほとんど日本語ができない状態で帰国し、英語をすっかり忘れた状態でカナダに移住したわけです。このような個人的な経験から、海外と日本をつなぐ仕事に携わりたいという思いを強く持つようになりました。
―これまでは総合広告会社、SNS、アドネットワークで勤務されてきました。これらの業種と、The Trade Desk社が運営するDSP事業の最大の違いは何だと思いますか。
あくまでも一般論として、広告主側と媒体社側の双方と取引を行う業種では広告枠の値付けや広告の配信先の選択が恣意的になります。その結果、例えば仕入れ値を始めとする詳細な情報を広告主には開示しないという場合が多いです。
一方のDSPは広告主側に軸足を置いているがゆえに、広告在庫の仕入れ交渉などには一切関知しません。よって広告在庫を提供するパブリッシャーに対して少なくとも取引上の便宜を図る必要がなく、広告主及び広告代理店に対して透明性の高いサービスを提供できるという強みがあります。
オープンウェブに正当な評価と報酬を
―アドテク業界においては、大手プラットフォームの寡占化が進み、貴社を含めた独立系の事業者の存在が希少になってきた感があります。大手プラットフォームに対して、どのように対抗または差別化を図っていきたいと考えていますか。
いわゆるウォールドガーデンと総称される一部のプラットフォームは、自社のウェブサイトまたはアプリの中だけでユーザーを回遊ないし滞留させることでマネタイズを図る事業モデルの構築に成功しました。その結果、その他大勢に相当するオープンウェブは多様で優良なコンテンツをいくらそろえても、正当にマネタイズができない状況に陥ってしまったのです。
当社では、「Media for Humankind」という標語の下で、オープンウェブ上の信頼足るエンゲージメントの高いコンテンツに対しては正当な報酬を支払い、広告主、広告会社、パブリッシャーがすべて等しく恩恵を被ることができるエコシステムの構築に寄与していくことを目標としています。
―オープンウェブが「正当にマネタイズできない状況」に陥った最大の理由は何だと思いますか。
ウォールドガーデンが、インターネット上に存在するあらゆる情報を効率的に集めて独自のエコシステムを構築することに優れていたという点に尽きると思います。実際にウォールドガーデンを通じて得たトラフィックが収益にはつながらないとこぼすパブリッシャーはたくさん存在します。言い換えれば、技術力やコンテンツの質においてオープンウェブのプラットフォームが劣っていたというわけでは決してない。これは、かつてFacebookで勤務していた自身の経験と照らし合わせた上ではっきりと言えます。
―オープンウェブが正当にマネタイズできる状況を整備するために貴社ではどのような取り組みをしていますか。
様々なサイトに表示された広告がどのようなパフォーマンスを示しているのか。仕入れ値がいくらなのか。ファーストパーティーデータやサードパーティーデータと統合するとどのような属性にリーチできるのか。自社製品の購買客はどの時間帯にどのようなサイトを閲覧しているのか。こうした情報を分析し、そしてできる限り分かりやすく整理することで、キャンペーンの効果を最大化するというのが当社の重要な役割です。
ちなみにオープンウェブ上における当社のリーチはグローバル規模で10億ユーザー。オープンウェブはもっと高く評価されるべきだと考えています。
CookieレスとコネクティッドTVの今後
―貴社ではオープンウェブ上のIDを標準化することを目的として「Unified IDソリューション」を提供してきました。ただこの「Unified IDソリューション」はCookieベースの技術です。Cookie規制の強化により、多大な影響を受けるのではないでしょうか。
少なくとも現時点においては、引き続きCookieマッチ率を向上させるためにUnified IDソリューションの提供を継続しています。また今後については、Google、Facebook、Microsoftといった主要事業者とともにWorld Wide Web Consortium(ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム、W3C)という標準化団体で、Cookieを用いない同様のソリューションを見つけ出すための議論を行っている最中です。
まだ結論が出ていない段階ではありますが、大きく分けて二つの方向性を模索しています。一つは各事業者がそれぞれCookie以外のシグナルを用いてユーザーを判別し、Cookie利用時と同様の広告効果を維持する自助努力の方法。もう一つは、Google、Facebook、Appleといった大手のプラットフォームが保有する個人情報を匿名化した上でその他の事業者と共有する方法です。
―貴社では、テレビ局以外の事業者が放送事業を展開するOTT(オーバー・ザ・トップ)やコネクティッドTVへの広告配信にも注力しています。
日本市場で広告枠を用意したOTTとして存在感を示しているのはTVerとABEMAです。コロナ禍による在宅時間の増加と同期してユーザー数を伸ばしており、その受け皿となる独自のテレビ端末つまりコネクティッドTVの台数も今後増えていくことが見込まれています。
TVerは間もなくインターネットテレビという扱いになるでしょう。今年の初めに見逃し配信だけではなく、地上波放送との同時配信の技術実証も行われたことから、今後は同時配信が占める割合が増えていくはずです。
―OTTでの広告配信においてはどのような課題があると考えていますか。
1つはターゲティングです。一般的なインターネット広告はこれまでデバイスつまりユーザーごとにターゲティングを行ってきましたが、テレビ放送となると今度は世帯ターゲティングとなります。ところが世帯ごとのターゲティングに活用できるサードパーティーデータがまだ少なく、加えて日本は海外に比べてIPアドレスがより頻繁に変わり得ることもあって、世帯ターゲティングを行うのが現状では非常に難しい。この課題については現在、テレビ局と一緒に実証実験に取り組んでいる最中です。
もう一つには、インストリーム広告の効果測定に関する課題があります。現状においては、場合によってはコネクティッドTVの大画面で音声付きで見たインストリーム広告と、スマートフォン上の小さな画面で音声なしで見たアウトストリーム広告の違いがきちんと評価されていないと感じています。この違いが適切に評価されなければ、プレミアムな映像コンテンツ内に設けた広告枠が安売りされてしまい、業界全体が損をしてしまう。ビューアビリティを含めた適切な効果指標に対する理解を深める必要があると思います。
今後は広告主の理解促進も必須に
―貴社ではテクノロジー領域に特化したセルフサーブ型のDSPとして広告会社を主な顧客としてきました。ただ近年ではインハウスでの広告運用の流れも出てきています。
引き続きセルフサーブ型のDSPとして広告会社に対するサービスに注力していきます。ただ最近では、広告主側の理解をも深める必要性がより高まってきているというのも事実です。
先に申し上げた通り、米国などでDSP市場が拡大してきた背景には、広告配信業務の効率化に加えて、いわゆるバイサイドに特化することで透明化を図るという考えがありました。ところが日本ではいまだアドネットワークとDSPがともに媒体扱いされており、DSPとして切り出した費用が予算化されにくい現状があります。
DSPの意義そして透明性の確保という課題については、広告会社だけでなく、広告主からも理解を得なければならないというのが現状の認識です。
―最後に2020年の注力領域を改めてお聞かせください。
2018年に発表した広告運用を効率化する技術である「Next Wave」の導入率は100%となり、広告会社がAI機能を活用した効率的なメディアプランニングを行うための環境が整備されました。さらに今年は「TVer PMP」との連携を始めとしてOTT領域に注力していく予定です。今後も引き続きデータ活用を通じてより効率的そして効果的な広告配信を実現していきたいと考えています。
ABOUT 長野 雅俊
ExchangeWireJAPAN 副編集長
ウェストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程修了。 ロンドンを拠点とする在欧邦人向けメディアの編集長を経て、2016年に調査・コンサルティング会社シード・プランニングに入社。 日本や東南アジアを中心としたデジタル広告市場の調査などを担当している。