メディアが語るアドテク論-第三回:アドサーバーの登場で大きく変化した媒体社の広告ビジネス |WireColumn
by ニュース
on 2018年9月07日 in様々なメディアや場所で日々語られるアドテク。見える風景は立場によってさまざまである。本シリーズでは、メディアから見たアドテク論をお届けする。
難しいテーマについて、メディア視点で分かりやすい言葉で語られており、普段アドテクに直接関わっておられない方にもおススメである。
今回は、アドサーバーについて。
※本記事は、東洋経済新報社「東洋経済 for BIZ」から転載したものです。
プログラマティック広告の基礎知識バナー広告が初めて登場時のクリック率はなんと44%
最近はビューアビリティーやアドフラウド、ブランドセーフティーなどが話題になっていますが、今回はインターネット創世記まで時代をさかのぼります。
歴史の話になってしまいますが、世界初のバナー広告は1994年にアメリカで登場しました。
画像引用元:"This Is the World's First Banner Ad" MashableAsia
上記サイトからの情報を引用すると、このバナーのクリック率は44%だったということです。現在ではクリック率0.1%でも大成功ですから、とんでもない数字です。昔はいい時代でしたね。
この時代、バナーの画像はページに直接埋め込んでしていたようです。そのため、一定期間、ずっと同じバナーが掲載されていました。当時ホームページには、よくアクセスカウンターというのがありました。そのウエブページにどれだけのアクセスがあったかを示すものです。どれだけ見られたかというのが大事な指標であったことがわかります。アクセス数の増加とともにインターネットが広告ビジネスとして注目されていきます。
アドサーバーの登場で広告ビジネスが変わった!
話を戻します。当初は、こうしたバナー掲載を手作業で差し替える必要がありました。表示する広告が複数になると大変な手間になります。広告掲載は開始と終了が大切です。キャンペーンが終わったのに、キャンペーン告知の広告が流れていたら大変なことになります。例えば、「午前0時に終了」のとき、夜中にもかかわらず、起きて作業しなければなりません。
そこで登場したのがアドサーバーです。アドサーバーというのは簡単に言うと、広告をタイマーで管理する仕組みです。テレビ局がコマーシャルを秒単位で自動管理する「営放システム」というものがありますが、それに似た仕組みがインターネットの急速な発達で求められるようになったのです。
このアドサーバーの登場により、時間管理に加え、同時期に複数の案件を管理することが簡単にできるようになり、案件の優先順位をつけることもできるようになりました。配信料金や案件の重要度によって広告配信に優劣をつける仕組みは、その後プログラマティック広告の金額に応じた出し分けや様々な商品バリエーションへともつながっていったと考えます。アドサーバーのもう一つの特徴は、インプレッション(どれだけ表示されたか)とクリックを広告案件ごとに出せるようになったことです。広告主は、自分が出した広告がどれだけの効果があったかを数字で把握できるようになりました。これは画期的なことで、その後クッキーを使ったターゲティングや、ビッグデータを活用した広告配信へと進化していきます。
米国のアドテクノロジーの歴史を調べると、アドサーバーが1997年頃に出ています。また、1995年から1996年にかけて広告を横断的に出すアドネットワークというビジネスモデルが登場しました。アドサーバーは純広告とアドネットワークを並列に出すことを目的に作られたものでした。日本でこの仕組が広く使われるようになったのは私の知る限り2000年代初頭以降ですから数年以上の時間差があります。米国とのこの時間差はその後も変わらず、現在もアドテクノロジーはほぼ全て米国が先行しているのです。
東洋経済新報社がアドサーバーを入れたのはいつか
ちなみに東洋経済新報社は、2000年10月に「東経投資クラブ」というサイトを立ち上げました。当時サイト管理者であった私は、コンテンツ配信システムに直接広告タグを入れたり、HTMLのソースコードにタグを直貼りしていたりしました。当社がアドサーバーを導入したのは2006年末です。アドサーバーの導入は媒体社により異なりますが、概ねこの前後の時期のようです。
次回はアドネットワークの話をします。
ABOUT 新津 尚男
東洋経済新報社
ビジネスプロモーション局 メディアデザイン部
プログラマティックアド担当部長
2000年東洋経済新報社に入社。東洋経済オンライン、会社四季報オンラインのサイト構築・デイレクションに従事。2012年からプログラマティック広告の業務に就き、アドテクノロジーを使ったマネタイズに取り組んでいる。